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芥川賞作家・李琴峰の経歴と学歴!台湾出身LGBTQ作家の波乱万丈な人生に迫る!

目次

芥川賞作家・李琴峰の経歴とは?台湾から日本語作家になるまで

李琴峰さんは、1989年に台湾で生まれました。
現在は日本に在住し、日本語で小説を執筆している珍しいタイプの作家さんです。

15歳のときに日本語を学び始めたそうですが、その頃からすでに中国語で小説を書いていたとか。
いやはや、高校の時点で“書く人生”を選び始めてるの、カッコよすぎません?

そんな李琴峰さんの歩みは、ただのサクセスストーリーでは語り尽くせません。
台湾から日本に渡り、言語も文化も異なる場所で作家として成功を収めた背景には、きっと多くの苦労や努力があったはずです。

今回はそんな李琴峰さんの「経歴」をじっくり掘り下げつつ、
ちょっとだけ中年システムエンジニアである筆者の視点も交えてお話していきますね。


幼少期と台湾での学生生活

李琴峰さんは台湾の田舎で育ちました。
高校までは現地で過ごし、台湾の最高学府とも言える「国立台湾大学」に進学したそうです。

国立台湾大学って、日本で言うと東京大学みたいな存在らしくて、もうそれだけで「スゴイ!」と拍手したくなりますよね。

実は筆者も工学部系の大学を出た身として、「あー、高偏差値の世界ってあるよね…」とちょっとだけ懐かしさを感じました(笑)。

でも、李琴峰さんは理系ではなく文系の方。
小説家になる人って、やっぱり学生時代から“言葉”へのセンスが違うんでしょうね。

しかも李さんは学生のころからすでに「創作」を始めていて、中国語で小説を書いていたとか。
自分が高校生のころなんて、部活終わってラーメン食べてただけですから、はい(涙)。

さて、そんな李さんが日本語を学び始めたのは15歳のとき。
ここから、人生の方向がぐぐっと変わっていくんです。

日本語との出会いと来日後の歩み

李琴峰さんが日本語を学び始めたのは15歳のとき。
しかもその時点では、五十音表すら知らなかったとか。
それなのに、その後まさか日本語で小説を書くようになるとは…まさに“運命の言語”だったのかもしれませんね。

2013年、李琴峰さんは来日し、早稲田大学大学院の日本語教育研究科に進学。
ここで本格的に“第二言語としての日本語”を学ぶことになります。

ちなみに、筆者も30代の頃に独学でPythonを習得してましたけど、日本語の小説を書くレベルって、もう「脳の使い方が違うな」と感心してしまいます。
機械語と詩的表現じゃ、そりゃ脳みそも別ジャンルですよ。

そして2017年、李琴峰さんはなんと、はじめて日本語で書いた小説『独舞(のちに『独り舞』に改題)』が「群像新人文学賞」の優秀作に選ばれ、作家デビュー!

このときの李さんの創作のきっかけは、通勤電車でふと浮かんだ「死ぬ」という一語だったそうです。
通勤電車の中でコードのバグしか浮かばない筆者としては、なんとも文学的な出発点に驚きましたよ。

その後は永住権を取得し、本格的に日本を拠点に創作活動を展開。
人生の舵を完全に“日本語”に切ったわけです。


李琴峰の学歴を徹底解説!国立台湾大学から早稲田大学院へ

李琴峰さんの学歴は、正直「強い」です。
ガチで頭いい人の道を、そのまま地図にしたみたいな経歴なんですよ。


台湾のトップ大学での学び

まず、彼女は台湾で最もレベルが高いとされる国立台湾大学を卒業しています。
日本で言うと東大ポジションです。つまりガチのガチ。

しかも李琴峰さんは、日本語を学びながら大学で中国語の創作もしていたとか。
同時進行で語学と小説って、どんな脳してるんですか。

この時期から既に、複数言語を自在に扱いながら創作を続ける“越境型クリエイター”としての素質があったのかもしれません。


早稲田大学で日本語教育を専攻した理由

大学卒業後、李琴峰さんは2013年に日本に渡り、早稲田大学大学院 日本語教育研究科へ進学します。

これは「日本語を教える側」になるための学科なんですが、彼女にとっては「日本語を極める手段」だったようです。

SEの筆者的に言うと、「Javaのコードを教えることで、むしろ自分の理解が深まった」みたいなやつ。
そう、教えるって最強の学び方なんです。

そしてこの時期、日本語での創作にも挑戦し始めます。
いやー、日本語ってネイティブでも難しいのに…スゴすぎますって。

この挑戦が、のちの芥川賞受賞へとつながっていくわけですね。

芥川賞を受賞した『彼岸花が咲く島』とは?

芥川賞を獲るって、日本の純文学界で言えば「キング・オブ・作家賞」みたいなもんです。
李琴峰さんは2021年、この名誉ある賞を受賞しました。

その受賞作こそが、『彼岸花が咲く島』。
タイトルからして文学感バシバシ出てますよね。


芥川賞受賞の背景と選評

この作品は、第165回芥川賞を見事に受賞しました。
選考委員からも「言語に対する探究心」や「異なる文化の交差点を描いた構成力」が高く評価されたそうです。


『彼岸花が咲く島』のあらすじと見どころ

物語の舞台は、記憶を失った少女が流れ着いた“言語が変異した島”。
そこでは、女しか話せない「女語」と、男性が使う「ニホン語」が存在していて、
言葉と記憶、性とアイデンティティが複雑に絡み合います。

まさに“言葉の迷宮”の中で自分を見つけていく話、と言えばいいでしょうか。

筆者的には、異世界設定に見せかけて、実は現代社会の価値観や差別問題を深く掘り下げているところにグッときました。
しかも押し付けがましくなく、さりげなく読者に問いを投げかけてくるんですよね。

文学って、こういう力があるんだなあ…と久々に思わせてくれる作品でした。


トランスジェンダー作家としての挑戦と告白

李琴峰さんは、2024年11月、「トランスジェンダー追悼の日」にあわせてトランスジェンダーであることを公表しました。
ですがそれは、本人の意思というよりも、“アウティング被害”によって追い詰められた結果でした。


カミングアウトの経緯とアウティング被害

2024年、日本と台湾のSNS上で、李琴峰さんの性別変更に関する投稿が相次ぎました。
その中には悪意あるものも多く、実名で“暴露”する行為、いわゆるアウティングも含まれていました。

李琴峰さんはそれを受けて、公式サイトでこう語っています。

「カミングアウトは私の自由意志ではありません。加害者の憎悪犯罪の結果です」

この言葉、ズシンときますよね。
プライバシーって守られて当然なもののはずなのに、それを土足で踏みにじるような行為がまだ起こるという現実…。

システムエンジニアとして、データの保護やアクセス管理には敏感な筆者ですが、
「個人情報」ってデジタルだけじゃなくて、“生き方”そのものにも通じるんだと、ハッとさせられました。


性的少数者として社会に伝えたいこと

李琴峰さんは、自分がレズビアンであること、そしてトランスジェンダーであることを公表したあと、
「自分の存在が誰かの希望になれたら」と語っています。

筆者、これ読んだとき、すごくしみました。
エンジニア業界ってLGBTQの人が少ないようで実はいるっぽいし、
“何も言わずにひっそり頑張ってる人”って、意外と多いらしいんです。

それに、文学って多様な視点を届けるものじゃないですか。
だからこそ、李琴峰さんの作品や存在が、
これからの時代にもっともっと必要とされていくと思うんですよね。


李琴峰の作品と創作スタイルに迫る

李琴峰さんの魅力って、「言葉の力」だけじゃないんです。
書いてる内容も、描かれる視点も、すべてが“ユニーク”なんですよ。

筆者は長年、エラーを吐くシステムと格闘してきましたが(笑)、
李琴峰さんの作品はエラーどころか、毎回「おっ、また来たな」って感じの“新しい読み味”を届けてくれます。


二言語作家としての強みと魅力

李琴峰さんは、中国語と日本語の二言語作家です。
しかも両言語で小説を書き、翻訳までしてしまうんだから驚きです。

エンジニアで言えば、PythonとJavaを使いこなしながら、英語でAPIドキュメント書くようなものですよ。
つまり、「技術×表現」両刀使いってことですね。

二つの言語を行き来するからこそ、
“日本語の違和感”にも敏感で、“母語ではない美しさ”にも気づける。
そんな稀有な視点が、李琴峰作品の独特な世界観を生み出しているのかもしれません。


代表作一覧と今後の活動予定

ここで、李琴峰さんの主要な著作をサクッとまとめておきます👇

  • 『独り舞』:デビュー作。群像新人文学賞優秀作。
  • 『五つ数えれば三日月が』:芥川賞候補。
  • 『ポラリスが降り注ぐ夜』:芸術選奨新人賞を受賞。
  • 『彼岸花が咲く島』:芥川賞受賞作。
  • 『生を祝う』:受賞後第1作。出生とアイデンティティを問う近未来小説。
  • 『言霊の幸う国で』:差別や偏見と闘う、魂の書き下ろし作。

ちなみに最近はエッセイにも力を入れていて、
『日本語からの祝福、日本語への祝福』なんていう“言葉オタク”にはたまらない一冊も出版されています。

今後は翻訳や海外展開もさらに進むらしく、
文字通り“国境も言語も越える作家”としての活躍が楽しみですね。

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