野村哲郎元農相の経歴と学歴がすごい!
ラ・サール高校という超進学校を卒業し、その後、農業界から政治の世界へ。
この流れ、ちょっと意外ですよね?
実は、野村哲郎さんのキャリアは”地元密着型の叩き上げ”そのもの。
ラ・サール高校卒!地元・鹿児島から全国へ
野村哲郎さんは1943年生まれ。出身は鹿児島県霧島市(旧・隼人町)です。
この地元から、日本有数の名門・ラ・サール高校へ進学したのはすごいの一言ですね。
ラ・サールって、医者か東大か官僚かってイメージありませんか?
僕みたいな40代昭和生まれの人間から見ると、「うわ、ガチの天才枠…」って感じです。
やっぱりラ・サールって聞くと「おぉ!」ってなります。
でも野村さんはそこから、いわゆる“エリートコース”じゃなくて、農業協同組合(JA)の現場に入るという選択。
ちょっと渋いルートに感じるかもしれませんが、これがのちの政治活動にガッツリつながってくるんですよ。
しかもこの時点で、バリバリの“現場主義”を実践していたところが、なんか共感持てます。
僕も新人のころ、現場サーバールームで冬でも汗かいてましたから(笑)
農協勤務から政界入りまでのキャリアとは?
野村さんがJAに入ったのは1969年。
そこから2004年まで、35年間も現場でキャリアを積んできたそうです。
筆者がいるシステムエンジニアの界隈でいうと、35年同じシステム触ってたら、たぶんレガシーの神です(笑)
特にすごいのが、JAでの肩書きが「経営監査部長」や「参事」「常務」など、実務から経営まで幅広くこなしてたこと。
これはもう、農業界のCTOみたいなもんですよ。
で、その後、60歳で政界デビュー。
これも意外ですよね?普通は40代でデビューとか多いけど、還暦超えて初当選って、かなりレアです。
40代でエンジニアからマネージャーに転向するのも勇気いりますけど、こっちは国政ですからね。スケールが違います。
初当選の2004年からは、ずっと鹿児島県選挙区で当選し続け、2022年で4期目。
農業にどっぷり関わった経験が、まるごと政治に活きたキャリアって感じです。
農林水産大臣に就任するまでの歩み
2008年に農水政務官になった野村さんは、その後も農林水産系の委員長や部会長などを歴任。
で、ついに2022年、第67代農林水産大臣に就任しました。
これって、農協→政界→農相という「農業キャリアのフルコンボ」みたいなもんです。
SEで言えば、「COBOLから始まって、PM兼技術顧問やって、最後に社長に就任」みたいな。マニアックですみません…
ただ、農林水産大臣ってけっこう大変なポジションで、農業関係者だけでなく、全国の食と安全に関わる責任が重い役職です。
実際、輸出振興や食料安全保障などの場面で、野村さんの現場感覚がかなり評価されていたんですよ。
でも、次の見出しで取り上げるように、ちょっとした“言い間違い”が大騒動になってしまったんですよね。
ではここから、政治家としての試練の一つ、「汚染水」発言について見ていきましょう。
ラ・サール卒の実力派政治家!野村哲郎のプロフィール
野村さんの魅力って、学歴や経歴だけじゃないんですよね。
ここでは、出身地や趣味、好きな言葉などから“人となり”に迫っていきます!
出身地はどこ?鹿児島・霧島のルーツ
野村さんの生まれは、鹿児島県霧島市(旧・隼人町)。
霧島って温泉と自然のイメージが強いですよね。
そんな土地で育った人だからこそ、土と共に生きる農業への想いが自然と強くなったのかもしれません。
僕も田舎出身なので、「地元のために何かしたい」って気持ち、すごく分かります。
都会でバリバリやってても、ふと地元の風景を思い出す瞬間ってあるんですよね。
野村さんは地元の農業に深く関わって、そこから日本全体の食を考える立場にまでいったわけです。
野村哲郎の趣味・信条・好きな言葉まとめ
ちょっと肩の力を抜いて、野村さんの“人間っぽさ”を紹介しますね。
・趣味:菜園作り、読書、ゴルフ中継や落語の鑑賞
・好きな言葉:「汗は自分でかきなさい。手柄は人にあげなさい」
・座右の銘:「一期一会」
・信条:「信実一路。」
この「汗は自分でかく」って精神、大事ですよね。
ユーモアがありつつも、芯がしっかりしてる人柄が見える感じがしますね。
さて、次は話題になった「汚染水」発言とその余波についてお話しします。
野村哲郎の「汚染水」発言とは?世論と政治の反応
正直、これが原因で一気に名前が広がった感もあります…。
2023年、ちょっとした発言ミスが大きな波紋を呼びました。
「処理水」と「汚染水」の言い間違いで批判殺到
ことの発端は、福島第一原発のALPS処理水に関して、記者の前で「汚染水」と発言してしまったこと。
意図的ではなく言い間違いだったそうですが、「農水相がそれ言っちゃダメでしょ」って空気に。
IT現場で言えば、プロジェクトのキックオフで「失敗前提で頑張ります!」って言っちゃったような感じですね。
一言ミスると、信頼がガタっと落ちちゃうってやつです。
本人もすぐに謝罪&訂正しましたが、メディアも野党もピリついて大ごとに。
内閣や与野党の反応は?発言後の謝罪と釈明
野村さんは「まったく記憶になかった」と語りつつも、すぐに全面的に謝罪。
首相の岸田文雄さんからも謝罪・撤回を指示されていたとのこと。
この一連の流れって、SE的に言うなら「デグレしましたけどすぐリカバリして、ログも整理しました!」みたいなもんです(笑)
でも、社会的影響が大きすぎて、「もう辞任すべきでは?」という声が出たのも確かです。
ではなぜ、辞任には至らなかったのでしょうか?
辞任はなぜ否定された?その背景にある考え方
野村さん自身は「今後はより一層気を引き締めて…」と謝罪しつつも、辞任は否定しました。
背景には、「あくまで言い間違いであって、意図はなかった」という判断もあったようです。
大事なのはその後の対応と、再発防止策。
その意味で言えば、謝罪と説明は最低限こなしたと言えるかもしれません。
野村哲郎の引退はなぜ?今後の活動と展望
野村さん、実は最近引退を発表したんですよね。
引退を表明した理由とタイミングとは?
引退の理由は「次の世代にバトンを渡すため」。
2025年の任期満了を前に、自ら次のステップへ進む姿勢を見せています。
SE界でも、50代で「若手に任せるよ」って去っていくベテラン、かっこいいんですよ。
技術だけじゃなくて、姿勢も見せてくれた人って、ずっと尊敬されるんです。
現在の役職と引退後の動きは?
現在も参議院議員として、農林水産委員などに所属しています。
ただ、メディアの露出は徐々に減ってきていますね。
引退後は地元で静かに過ごすのか、それとも何らかの形で“食と農”に関わり続けるのか。
今後の動きにも注目が集まっています。
野村哲郎のこれからに期待されること
政治の第一線を離れたとしても、あれだけ“現場”にこだわってきた人ですから、
きっとどこかで「信実一路」の精神を発揮してくれると思います。
僕らも、「やっぱ現場がすべて」って気持ち、ずっと持ってますしね(笑)
これからも野村哲郎さんの動きには、静かに注目していきたいところです。
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